インド二千年の旅 | Day 01 デリー | 最初で最後の「スークリヤ」

2020年5月25日

インド旅行記 バックパック

成田発デリー行の機中、4人掛けの左二人は旅行会社勤務のOLさん、右隣はデリーに住むバラモン階級の夫人だった。
せっかくだったのでデリー夫人にヒンドゥ語を教えてもらうことにした。簡単な挨拶ばかり、僕は「地球の歩き方」を片手に彼女の言葉を繰り返す。
その中で印象的だったのが、「ありがとう」だった。「歩き方」には「ダンニャワー(ド)」と書いてあるが、彼女は「スークリヤ」の方がベターだと言う。後で知ったのだが、「スークリヤ」は上流階級の人々が使う言い回しだとか。僕は彼女と別れてからインドを後にするまで、「ありがとう」を「スークリヤ」と言うインド人には一度も出会わなかった。「スークリヤ」を使う身分のインド人はほんの一握り、そういう国なのだ。
機内食は変な味のカレー。僕がガツガツ平らげていると左のOLに「どこへ行っても生きていけそう」と笑われる。うっさいわい。

 

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デリー国際空港に到着したのは夜9時過ぎだった。プリペイドタクシーで市内へ向かう。しかしこれがとんでもないタクシーだった。プリペイドなのでタクシー料金自体でもめることはないのだが、このタクシーはリベートをもらっている知合いのホテルに強引に連れて行く類のタクシーだったのだ。まあそもそも、運転手以外の怪しい男が助手席に乗り込んできたときに断固として拒否しなかった僕も悪いのだが。

最初に連れてこられたホテルで500ドルという法外な値段を提示され、値切る気にもなれずに一人暗い路地へ飛び出すも、全く道が分からない上、路上には怪しい男や野犬(間違いなく狂犬病の)がたむろしている有様。他のリクシャー(三輪タクシー)を捕まえようとするとさっきのタクシーがやってきてそれを阻止するというしつこさ。結局、どんな宿でもいいからとにかく駅の近くまで行ってくれ、と念を押して再びタクシーに乗り込んだのだった。
走り出してしばらくすると、何となく賑やかな町並みになってきた。僕は、ここからなら自力で駅前の安宿街まで行けると判断し、交差点でタクシーが徐行した隙に、ドアを開けて強引に外へ転がり出て、脱出に成功したのだった。
しかし次の朝、明るく活気にあふれるデリーの街並を目にした時には、昨夜の出来事が夢だったのではないかと思えた。

 

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二日後の列車の前売り切符を買うためにニューデリー駅へ向かっていると、一人の男が突然「Are You Japanese?」などと話しかけてきた。適当に流していたのだが、「駅まで行くのかい?デリーにはいつ来たんだい?何歳?」などと無駄に話し続ける。
やがて駅らしき赤い建物が見えてくると「ほら、あれがニューデリー駅だよ」と教えてくれる。なんだ、悪気は無かったのか。タクシーの事件以来、インド人不信に陥っていたが、こういった単に人懐こいだけの良い人もいたりするからインドは難しい。
僕はちょっとうれしくなって、「あなたの写真撮ってもいいか?」とお願いしてみた。(でもこうやって写真を見ても、日本人の顔ばっか見てる我々からするとやっぱりおいそれとは信用できない顔立ちだよな、インド人て・・・ごめんよ)

 

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リクシャーを漕ぐ彼らの体は、実に細い。針金のような、という表現は彼らのためにあるのではないかと思うくらいに。
乗客には、運転手の言い値であっさり妥協する者もいれば、僕のようにしつこく値切る旅行者もいる。図らずも後者のような乗客に遭遇した場合、シビアに値切られた彼らは「はあ、しかたねえな」という表情で渋々リクシャーを漕ぎ出す。
しかし彼らは一旦リクシャーを漕ぎ出すと、満足のいく運賃であるのかそうでないのかに全く関わらず、実に真面目に漕いでくれるのだ。その間、彼らは苦渋の表情も見せない。ため息も漏らさない。もちろん何の言葉も発しない。それが上り坂であろうが、なんだろうが、一定の速度で進んでいく。針金のような体で。
これは彼らの諦観の一種でもなければ、尊厳でもないようだ。金を払わない客はさっさと片付けて、次の客を乗せたいという単純な理由なのだろう。それでもやはり、感心してしまう。僕がリクシャーの運転手ならば、金を払わない客に対してはふてくされてしまい、労力を払いたくないし、金を払ってくれる客に対しては必要以上にがんばってしまいそうだ。
その辺りが、生きていくための金に対して切実な価値を置く彼らと、僕らとの違いなのかもしれない。

 

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映画はインドで最もメジャーな娯楽と言われる。そう言われると観たくなるのが人情である。この時の旅では、デリーでラブストーリーを一本、ジャイプルでアクションもの(写真の看板のやつ)を一本観た。入場料は普通の席で大体45ルピー(百円強)。
ストーリーは、それはもうメチャクチャである。隣の席のインド人に解説されても、ちょっと待て、それは話が飛びすぎだろう、というストーリーばかり。しかしインド人にとってはそんなことはどうでもいい様子だ。彼らはスクリーンの中のヒーロー/ヒロインと共に笑い、スリルを味わい、踊るということを楽しんでいるようだ。
ちなみにインドでもハリウッド映画などの舶来ものも上映しているが、インドの人は国産映画の方をより好むようだ。

 

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街は「生きた」食材であふれている。見られるのは、「ニワトリ」、「魚」、そして「マトン(ヒツジ)」など。(街にあふれるといえば、インドの街では「ウシ」が大通りの中央分離帯をなしている。ヒンドゥー教徒以外の目から見れば、彼らこそ街にあふれる最も高級な食材であるはずなのに。。。)
食堂なりレストランなりに入ると、やはりメインメニューは「カリー」である。正確には「インド・カリー」というべきであり、日本人が「ココイチ」などで食する「カレー」という美味なる食べ物とは別物と考えた方がよい。
ルー自体は、前述の肉や、野菜、スパイスを煮込んだ「スープ」のようなものであり、それにナンをペシャペシャひたして食べる。稀にライスを選択できる店もあるが、パサパサのインディカ米を「ライス」と言い切るのは日本人にとっては忍びない。
ぶっちゃけ、インドの旅において食とは即ち「如何にしてカレーから逃れるか」であるといっても過言ではない。行き着く町々で「あの店では美味いチャーハンがある」だとか、「あの店ではステーキの定食が食える」などといった、カレー以外のバリエーションを豊富に用意しておいて、忘れた頃にカレーを食べるのが「インド・カリー」との正しい付き合い方であろう。
余計なお世話かもしれないが、胃腸の弱い方にとってインド・カリーの頻繁な摂取は命取りになりかねないことだけは言い添えておこうか。

 

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昼過ぎに学校を終えて家路に就く子供たち。さわやかな笑顔を見せてくれました。

 

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何でもありのインド人たちは何でも自分たちの手で修理・改造してしまう。
一番驚いたのは、この後参加したローカルツアーで車を運転していた男がキーを側溝に落としてしまった時のことである。どうにもこうにもキーを拾い出すことはできないとなって、彼は「ちょっと待っててくれ」と言い残し、その辺をうろついていた男に声をかけ、その人のキーを貸してもらってきた。それをどうするのかと思って見ていると、彼が「オイル」と呼んだ液体にそのキーを浸し、クルマの鍵穴に差しこんだのである。すると信じられないことに、ドアが開き、エンジンまで掛けられてしまったのである。
さらに理解不能なことに、彼は人に借りたキーを差したままクルマを発進させようとし、キーを貸した男もそれが当然であるかのように自分のキーが差さったクルマを平然と見送っているのである。カギなどあってないような世界である。
僕がしきりに感嘆していると、彼は「これがインド式だ」などとのたまうではないか。まさにまざまざとインドの奥深さを見せ付けられた一件であった。

 

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親子三人でどこへ行ったのだろうか。
それにしても、子供のインド人はほんとかわいいんだけどなあ。この子供たちも数年後には怪しいヒゲを蓄えた濃い~インド人の仲間入りを果たしてしまうのだろうか。あ、でもこのお父さんは比較的ヒゲ薄いから大丈夫かな。。

 

本日のお宿

アカシ・プラザ・デラックス
(「ホットシャワー」は延々と冷たい水を放出し続けた・・・)

 

本日の出費

リクシャー:100ルピー(以下Rs)
ジャマーマスジット拝観料:15Rs
オートリクシャー:50Rs
買い食い:1Rs
ネットカフェ:20Rs
食事:35Rs
映画:45Rs
宿:250Rs
———-
計 516Rs (約1,290円(当時))

 

[2000年11月20日]

 

※本連載は西暦2000年のインドバックパック旅の手記を本ブログ向けに起こしたものです。記載内容は当時の手記そのものであるため情報は当時のものであると共に、筆者が学生だった頃の稚拙な文章であることを差し引いてご笑覧頂ければ幸いです。

 

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