東京五輪への「モヤモヤ」の理由を紐解いてスッキリしてみる

こんにちは。今日は何だか日記モードの10maxです。四連休のせいですかね(*´ω`*)

昨日TOKYO2020オリンピックが幕を開けました。筆者自身は生来オリンピックやワールド杯などのお祭り騒ぎには関心が無いアウトローな人間なのですが、今年の東京五輪に関してはこれまでに無く高い関心を持って迎えました。それも「モヤモヤとした」関心です。恐らく、多くの人が同じ様に「モヤモヤ」を抱えながら開幕を迎えたのではないでしょうか。

しかし、極限のスポーツが人の心を打つというのは変わらない真実。いつまでもモヤモヤしていてはせっかくの東京五輪を楽しむことが出来ず勿体ないので、少し冷静になってその「モヤモヤ」の原因を因数分解し、純粋な競技そのものと切り分けて見ることでスッキリしてみようと思います。

SONY ILCE-7M2, TAMRON 28-75mm F/2.8 Di III RXD (Model A036) (53mm, f/2.8, 1/60 sec, ISO250)

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五輪開催「反対論者」という亡霊

さて、開幕を迎えてSNS上で頻繁に見かけるようになったのは東京五輪に関する「反対論者」という単語。そのような言い回しをする人々は概ね「反対論者たちが色々騒いでたけど開幕にこぎつけてよかった」「とにもかくにも開幕したんだから楽しもう。反対論者は観ないんだろうけど」というような文脈で使っています。

あなたは「賛成論者」ですか?「反対論者」ですか?

筆者はどちらでもありません。何しろ「モヤモヤ」していただけなのだから到底「論者」などにはなり得ません。

しかし間違いなく、諸手を挙げて開催を歓迎していたとは言えません。つまり「モヤモヤ」していましたし、開催に対して疑問を感じていました。そして、もしこうした「モヤモヤ」を抱えて政府や組織委員会、IOCへの不平を募らせていた人を指して「反対論者」と表現しているのであれば、やや物事を単純な二元論的に見過ぎているように感じると同時に、非常に勿体ない気がします。

そうした「モヤモヤ」を抱えていた人たちは、東京五輪そのものに対する反対意識を持っている訳ではなく、せいぜいここ数ヶ月間の政府や組織委員会、IOCなどの言動を見る中で、彼らのような「五輪の中の人達の姿勢に対する不信感」を高めているに過ぎず、「五輪は応援したいけど納得させて欲しい」と言う方が近いでしょう。つまり、一部の人たちが「反対論者」だと思っているような人々は実際には存在しない幻なのです。

逆に言えば「反対論者」という極端な言葉は、イデオロギーとしてオリンピックに反対している様な人々を指して使われるべきであり(そしてそんな人達は周りにはさほど居ないはず)、安易に「あの人は組織委への不平を述べていたから反対論者だ」とか「あの人は反対論を唱えていたから自分とは相容れない」などと極論すべきではないでしょう。何故なら、本来は一緒に観戦して盛り上がれるはずの人々との不毛な軋轢と精神的な疲労に繋がるだけで、良いことが一つもないからです。

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そもそも何故「モヤモヤ」するのか

さて、では何が多くの人を東京五輪に対して「モヤモヤ」させて来たのか。言わずもがな、という気もしますが、紐解いてスッキリするのが目的なので改めて整理します。

政府や組織委員会への不信感

実は筆者は、3月頃までは「オリンピックなんてちゃんと対策を講じた上で開催すれば何も問題無いじゃん」と思っていましたし、もっと言えば、当時既に出始めていた『自分が我慢してるのに何故五輪だけ』という意見に対しては「そんなのは感情論だ。合理的に考えればそれとこれとは別問題だ」と思っていました。

これまでも様々なスポーツイベントが、バブル方式を始めとする徹底的な感染対策の元で、クラスターを発生させること無く行われてきたのだから、これだけの費用と期間をかけられる五輪なら出来るはずだし、人口1400万人の東京にたかだか1万人くらいの選手+関係者が入国するくらいなら対処出来るはずだ、と。

しかし、春くらいから徐々に意見が変わってきました。それは、政府や組織委員会による感染対策への不信感と、国民への納得感の得られない説明などが原因です。

詳細は省略しますが、ワクチン接種が進んでいることが前提での五輪開催にも関わらず、欧米に比べ周回遅れのワクチン確保・摂取政策。度重なる緊急事態宣言やまん延防止等重点措置による飲食店営業制限や移動制限の一方で、有観客での観戦や挙げ句に会場でのアルコール販売が検討されていたチグハグさ。厚労省による緊急事態宣言下での23人での宴会実施の発覚や、霞が関が最もテレワークが進んでいないにも関わらず五輪期間中のテレワーク推奨を発するという率先垂範の欠如。穴だらけの五輪関係者バブルや水際対策を始めとする感染対策の不十分さ。そしてそれらを説明しようとせず、いつまで経っても菅首相の「十分な対策で安全安心に」という、おもちゃ屋の店頭のネジ巻きチンパンジーの様な繰り返し文句でごまかされる状況が続きました。

このように政府や組織委員会への信頼を失うネタには枚挙に暇がありません。

つまり、上で申し上げた通り、「しっかり感染対策がなされてワクチン摂取が進んでいるという前提の下であれば」五輪開催には何も文句を言うつもりは無かったのですが、そうした前提が尽く裏切られる中で、モヤモヤが募っていった訳です。

コロナ対策が進んでいれば「クソなピアノの発表会」は犠牲にならずに済んだ

さて、そうなってくると上で触れた「自分が我慢しているのに何故五輪だけ」という意見が、筆者の中でも同意せざるを得ない状況に変わってきました。

折しも五輪開幕の直前に、東京五輪組織委の参与も務める夏野剛氏の発言が炎上しました。夏野氏は某番組の中でこう語ったそうです。

「クソなピアノの発表会なんてどうでもいいでしょう、五輪と比べれば。それを一緒にするアホな国民感情に、今年選挙があるから乗らざるを得ないんですよ」

五輪組織委参与の夏野剛氏「クソなピアノの発表会」「アホな国民感情」発言を謝罪(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース
 実業家で東京五輪・パラリンピック組織委員会の参与も務める夏野剛氏が23日、自身のツイッターを更新し、21日のインターネット放送局ABEMA TVのニュース番組「ABEMA Prime」での発言につ

まあ夏野氏のお粗末さはさておき、この発言は組織委の地平からものを見るのであれば非常に正論なのですが、残念ながら国民のいる地平とは遥かに遠いところからの発言であったために炎上しました。

筆者も小中学生の子供を持つ親として、人生で最も多感な時期にある彼らの様々なイベントや思い出づくりが中止になってしまう状況には、大きな焦りと悲しみを抱かざるを得ません。小中学生にとっての1年間は大人にとってのそれとは比べ物にならない程の価値があり、その犠牲は計り知れません。

しかし、もしワクチン接種などの対策が適切に進んでいれば、そうした犠牲は最小限に留めることが出来たはずです。そこへ、「五輪開催ありき」で感染症対策が後手になっている状況が明るみに出てくれば、「何故五輪だけが優先なのか」「あなた方にとってはクソのようなピアノの発表会も、子供にとっては一生に一度なんだ」と考えるようになるのも自然なことです。こうした一般的な国民が当たり前に考えることを予測できなかった想像力の乏しさが、今の政権の最大のリスクでしょう(西村経済再生担当相の飲食店締め付け発言然り)。

週刊ダイヤモンドによる田原総一朗氏へのインタビューの中で、田原氏はこう述べています。

菅首相は「今は東京五輪開催で頭がいっぱいだ」と悩んでいる様子だった。東京五輪で手いっぱいだとしても、ほかの自民党議員が新型コロナ対策などのさまざまな問題に主体的に取り組むべきだが、今の自民党の議員は危機感や緊張感がない。安倍前首相や菅首相に面と向かって意見を言える者が誰もいない。このことは大問題だ。

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これが事実ならば、やはり政府内では本来最優先すべきコロナ対策よりも五輪開催の方が優先されていたという事になります。コロナの感染者を抑えることが最優先事項として進められている諸外国と比べてしまうと、不満のはけ口が五輪に向いてしまうのは自然なことと言えるでしょう。

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無能な政治に対するモヤモヤは選挙で解決するしか無い

これらの事を踏まえて東京五輪に対する「モヤモヤ」の原因を整理すると、結局の所、最重要事項であるワクチン確保・接種推進を初めとするコロナ対策が後手に回る中で五輪開催を優先してきた現政権への不満、というところに落ち着きます。言い方を変えれば、ワクチン接種を充分進めて、一生に一度の「クソなピアノ発表会」を犠牲にしなくても済むような状況を作り出した上で五輪を開催する正しい判断力と能力が現政権にあれば誰もモヤモヤせずに済んだはずです。

そして、残念ながらその不満の声を挙げる方法は、選挙しかありません。もちろん、自民党以外の野党に政権を担当する能力があるかと言えば頗る不透明ですが、少なくとも「今の政治の進め方は間違っている」という声を伝えることは最低限のスタートラインであり、仮に今後も自民党が政権を担当するとしても、何らかの危機感と変革を促すきっかけにはなるでしょう。

では東京五輪とどう向かい合うか

さて、モヤモヤの理由は政治に押し付ける事にして、肝心なのはここからです。ここまでのところで「モヤモヤの理由は他にもある!それは五輪の背景にある商業主義や利権への執着が明らかになったことだ!」と思われる方も多いでしょう。それも踏まえた上で、せっかくの歴史的な東京五輪とどう向き合えば良いのか、少し考えてみます。

商業主義による「五輪への信頼失墜」の言葉に惑わされては勿体ない

今回政府が「五輪開催ありき」で物事を進めた事で、五輪の背景に利権が大きく絡んでいることが明るみになりました。それに対して憤りを覚える人も多かったでしょう。

しかしこれは正しくは「今まで気付かない振りをしていた事実が浮き彫りになったに過ぎない」と言うべきでしょう。

この事象を我々は少し丁寧に見なければなりません。

オリンピックの商業主義化についてここで詳しく論じる事はしませんが、仮にあなたが「オリンピックは商業主義にまみれている事が分かったから応援したくない」と思われるなら、今後オリンピックを一切観ないか、あるいは驚くほど多額の税金を収めなければなりません。

言うまでもなく、開催にかかる費用を現状の税制で賄えるほど日本の財政に余裕は無く、それを肩代わりしているのは放映権料やスポンサー料を支出している企業群です。そして何故その仕組みが成り立つのかと言えば、実際に多くの人がそうした大会を観戦したいと思っているからです。それは企業にとっては大きな広告機会となり、そうした集客力を前提として大会運営者やお抱え企業から支払われる賞金や広告塔としての対価が、スポーツ選手にとっての収入となります。今やその仕組みが成り立たなければオリンピックというイベントも成り立ちません。

一方で今回の東京五輪において特殊であり国民感情を逆撫でしたのはオリンピックの商業主義そのものではなく、能力不足により充分なコロナ対策と五輪開催を両立出来ない中で結果的に利権絡みの五輪開催を優先した日本政府と、日本国民の多くが開催を危ぶむ状況を顧みず強硬姿勢を貫いたIOCの姿勢でした。

つまり、オリンピックの商業主義そのものを非難するのはナンセンスであり、ましてや選手たちに矛先を向けるのはお門違いというものです。我々は腐敗した政権へのノーを選挙で突きつけつつ、商業主義を改めて受け入れて東京五輪を観戦するのが最も得策と言えるのではないでしょうか。

五輪選手と飲食店との不公平感をどう見るか

あとは気になるとすれば、緊急事態宣言などで経営難を余儀なくされた飲食店の事です。「オリンピックが開催されてスポーツ選手達は生き延びられただろうけど、代わりに飲食店は潰れてるんだぞ」という見方も、感情的には理解できます。

しかしこれこそお門違いというもの。これは西村経済再生担当相を初めとする現政権の手腕不足こそが責めを負うべきです。米国などのようにプッシュ型での一律経済補填を前提とした公平なロックダウンを行うなど、納得感のある政策をとれば上記のような不公平感は生まれないでしょう。というか、当たり前ですよね。本当に想像力が無いな・・・

さいごに

いかがでしょうか。少しはモヤモヤがスッキリしたでしょうか?

筆者の場合、正直なところオリンピックそのものを積極的に観戦するほど関心が高かった訳ではないですが、少なくとも報道などでオリンピックの話題を目にする度にモヤモヤとやり場の分からない感情を抱くのが面倒だったので、そのやり場を少し整理したくてこんな事を書いてみました。

で、こうして改めて書いてみると、正しい判断を行えず能力の低い現政権に対するノーの声を選挙で表明しつつ、一方でそうした政府に踊らされつつも努力を続けてきた五輪選手に対しては素直な気持ちで応援するのが最も幸せなんじゃないかな、と思いました。せっかくの歴史的な東京オリンピックですからね。

FE50mm F1.8 α7IISONY ILCE-7M2, FE50mm F1.8 (50mm, f/11, 1/100 sec, ISO50)

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