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進撃の巨人、最終話で回収される全伏線と最終コマの恐怖 – ミカサこそユミルの希望だった

こんにちは。家で風呂上がりに「無垢の巨人だ」と子供達に言われている10max(@10max)です。

下記でアニメ関連を取り上げたのも3年ぶりでしたが、今回も下記記事以来3年ぶりでのアニメ関連の投稿となります。3年毎に体内のユミルの血が騒ぐのかも知れません(出来れば無垢ではなく9つの巨人希望)。

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さて先日、原作時代から愛読していた「進撃の巨人」のアニメ版がようやく完結し、最終話およびラストシーンで語られる意味、そこで怒涛のごとく回収される伏線と、戦慄の示唆について、改めて感服しました。

特に初めて原作の最終巻を読破した時、全ての伏線があまりに鮮やかに回収されていくその見事さに震撼すると同時に、最後のたった1コマを目にした瞬間、恐ろしさで全身を電気が走ったかのように身震いしたものです。

個人的にはそこまで脳天を貫かれた訳ですが、しかし、色々な解説サイトなどを見ても、筆者が個人的に納得の行く解釈があまり見つからなかったため、「では自分で」と言うことで筆者の個人的な解釈を記しておこうと思いました(正しい解釈とかそうで無いとかではなく、個人的に納得が行く解釈かどうか、です)。

一言で言えば、「ミカサこそ始祖ユミルの希望だった」ということと、その後始祖ユミルにすら予期し得なかったとんでもない帰結に導かれてしまったのでは、という事です。

どこかのどなたかが共感して下さる事を願いつつ・・・。

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始祖ユミルがミカサを二千年間待った理由

さて、始祖ユミルは二千年もの間、「誰か」を待っていました。フリッツ王への盲目的な愛と執着から解放してくれる誰かを待ちながら、「道」を通じて未来と過去の全てのエルディア人と繋がつつ、一方ではフリッツ王の命令に従い砂で巨人を作りながら、長い時を待っていたのです。

そして現れた待ち人が、ミカサでした。

ユミルが二千年もの間待ち続けていたのがミカサであった理由は、「ユミルとの共通点と違いの共存の可能性」にあると考えています。

ユミルとミカサとの共通点 – 盲目的な愛と束縛

ユミルが求めていたのがミカサであった理由の1つは、ユミルとの共通点。これは非常に多くの場で語られていることなので言うまでもありませんが、特定の人への盲目的な愛と、その思いに縛りつけられている点です。

ユミルは奴隷として、「故郷を焼かれ、親を殺され…舌を抜かれた相手」であるフリッツ王を愛し、従順であり続けました。そしてその愛は成就すること無く、2千年の間、その思いに囚われ続けてきました。

ミカサの場合も似ており、時折理屈では説明のつかない形でエレンに執着し、自らの行動に迷い、苦しみます。

あるいは、ミカサが「アッカーマンの血」を引いており、主人に盲目的に従う性質を備えていたことも、ユミルの白羽の矢が立った理由の1つだったのかも知れません。

ユミルとミカサの違い – 愛する人に対する「決断」

しかし、ミカサが共通点を持つだけではユミルを解放する理由にはならないと思うのです。それではただの「ちょっと引くくらいヤバい恋バナ友達」で終わってしまいますからね。

筆者が思うに、ユミルがミカサを解放者として白羽の矢を立てる際に重要だったのは、ミカサがユミルと決定的に違う重要な選択を行う(可能性がある)点だったのでは、と思うのです。重要な選択、それは、愛する者(エレン)に自ら引導を渡す決断、と考えます。

ユミルが深層心理では自由を求めながらも、報われぬ愛と服従の苦しみに苛まれ続けたのとは対照的です。

ただ、この「選択」については、この後触れる様に、ユミルとエレンに導かれた側面が大きいため、どちらかと言えば「共通点」の方が重要と言えるかも知れません。

ところで、その決断を実行できる能力を持つ事も必要で、ここでもまた「アッカーマンの血」が役割を果たしたと言えそうです。

出典:諫山創「進撃の巨人」第122話「二千年前の君から」

出典:諫山創「進撃の巨人」第122話「二千年前の君から」

いずれにしても、この「共通点」と「違う選択」の共存こそが、始祖ユミルにとって真に求めるものだったのでは、と考えます。その心は、この後さらに詳しく深掘っていきます。

また、なぜミカサが、始祖ユミルが取り得なかった辛い「選択」を決断する事が出来たのかについても、この後触れていきます。

進撃の巨人 第138話「長い夢」

出典:諫山創「進撃の巨人」第138話「長い夢」

エレンはユミルを解放する待ち人では無かった

なお、ストーリーの中で、ユミルを解放して自由に導いてくれたのはエレンであると思わせるような場面もありますが(「道」の世界でジークとエレンが言い争い、エレンがユミルを自由へと誘うシーン)。

しかし、エレンはミカサの選択による結果に向かって進み続けていただけであり、ユミルが本当に自分を開放するために待っていたのは、やはりミカサであると言えます。

その事を端的に示しているのが、最終話「あの丘の木に向かって」の中で、エレンがアルミンの意識の中で語った次のセリフです。

「オレもまだ・・・ミカサが何をするのかは・・・わからない」

「オレが確実にわかっていたことは、ミカサの選択がもたらす結果、すべて・・・その結果に行き着くためだけに、オレは・・・進み続けた」

この様にエレンが言っていることから、あくまでもユミルが願う結果は、ミカサの選択によって引き起こされる、と(ユミルは考えていた、と)いう事が分かります。エレンはあくまでも、ミカサの「選択」を導くための存在だったのです。

またこの後、エレンがアルミンに対して、「地表を全てまっさらな大地にしたかった」理由について「何でかわかんねぇけど・・・やりたかったんだ・・・どうしても」と語っているところからも、エレンは「ミカサの選択がもたらす結果」のために進み続けていただけで、その理由についても関知していない事が読み取れます。

ただエレンは、ミカサの何かしらの選択によって「よく分からないがこの世から巨人が駆逐されるらしい」ということだけを知っていたのです。いかにもエレンぽいですが、細かいことを考えずに突き進む性質こそが進撃の巨人たる所以なのでしょう。

ただ、ここが最後の最後でキーポイントになると考えたのですが、それは後ほど・・・

「オレが確実にわかっていたことは、ミカサの選択がもたらす結果、すべて・・・その結果に行き着くためだけに、オレは・・・進み続けた」, 進撃の巨人 最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

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ユミルにとって「ミカサによる選択と結果」は自ら果たせぬ希望だった

さて、ここまでは「始祖ユミルが解放されて巨人を根絶するために」「ミカサの選択と結果という道標に向かい」「エレンが進み続け」たらしい、という仮説を述べました。

では、何故「ミカサの選択(エレンに引導を渡す事)」に向かって進むことが「ユミルの解放」に繋がるのでしょうか。そして、「ミカサの選択」のために、何故、家族、仲間を含む人類の8割というあまりにも多大過ぎる犠牲を払わなければならなかったのでしょうか。

「愛の苦しみから解放」されるにはミカサが必要だった

始祖ユミルは、フリッツ王を愛しながら報われず、従属し続けました。自らが死んでからも、フリッツ王の遺言を守り、「座標」で巨人を生み出し続けました。

しかし深層心理では、アルミンの意識の中でエレンが語った通り、始祖ユミルは「自由を求めて苦しんで」いました。そして「二千年間ずっと・・・愛の苦しみから解放してくれる誰かを求め続け」ていたのです。

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

ここでエレンが発する一言に、読者のみならずアルミンも一瞬虚を突かれます。

エレン:「それがミカサだ」

アルミン:「え?ミカサって言った?」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

初めてこの一節を読んだときは、筆者もアルミンと同時に

「え?今ミカサって言った?エレンじゃなくて?」

って思いましたよ(笑)

だって、座標の場所で、始祖ユミルを自由へと誘ったのはエレンですからね。

でも今は、上で触れた通り、ユミルの待ち人はエレンではなくミカサであった事が理解出来ます。

不合理なほどの盲目な愛と従属に縛られながら、それを自らの手で断ち切るというミカサの選択に、始祖ユミルは「自分が叶えられなかった希望」を見出したのではないでしょうか。

そしてそれが可能であるという事が証明されることで、ユミル自身も解放され、フリッツ王への服従により生み出し続けていた巨人の存在も無くなる、と考えたのではないでしょうか。

つまり、ミカサの「選択」によりユミルが解放され、その結果「この世から巨人がいなくなるという結果」がもたらされることを、ユミルは切望していたと考えられるのです。

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

地ならしによる大量虐殺はミカサの「選択」の為に必要だった

さて、これも良く提起される疑問の1つですが、

「地ならしによる大虐殺は本当に必要だったのか」

という点です。

これは、ここまでの筆者の解釈を前提とすれば、「ミカサが選択を行うためには必要だった」という事なのだと考えています。

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

「ミカサが選択を行う」、つまり「不合理なほどの盲目な愛と従順に縛られながら、それを自らの手で断ち切る」、という、ユミルが二千年間叶えられなかった苦しい決断をミカサが行うほどのインパクト、それこそがユミルの願いに必要な決定的要素でした。

なので、エレンに引導を渡すのは他の誰でもなく、ユミルと同様、深い愛に縛られたミカサでなければなりません。そして、エレンへの「盲目的な愛と従順」に縛られたミカサに愛する人の首を切り落とす選択を促すには、人類の8割を虐殺する地ならすらも必要だった、と解釈出来ます。

進撃の巨人 第138話「長い夢」

出典:諫山創「進撃の巨人」第138話「長い夢」

ダイナの巨人によるエレンの母の死すらもエレンが選んでいた

その意味では、そうした「ミカサの選択」を導くために、エレンはさらに残酷な行動をせざるを得なかった事が最終話で示唆されています。アルミンの意識の中でのエレンの次の発言です。

「あの日・・・あの時・・・ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった・・・」

「だから見逃して・・・に向かわせたのは・・・」

第1話で超大型巨人がシガンシナ区に現れ、エレンの母親がダイナの無垢の巨人に喰われてしまいましたが、それすらも、その後の展開において最終的にミカサがエレンの命を奪う「選択」を採るに至るために必要だったという解釈が成り立ちます。

つまり、「見逃して・・・に向かわせた」で不明瞭になっている部分は「母さんのところに」というような意味だと考えられます。あまりに残酷ですが、それでも目的のために突き進むのが「進撃の巨人」なのでしょう・・・。

「あの時ベルトルトはまだ死ぬべきじゃなかった。だから見逃して・・・に向かわせた」, 進撃の巨人 最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

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最後の戦慄の1コマが全てを暗転させ、幕を閉じる

いずれにしても、「愛の苦しみから解放され」「巨人の存在をこの世界から消し去る」というユミルの二千年の願いは、一旦は叶えられました。ここでハッピーエンド、かに思われました。

しかし、その先の未来については、ユミルさえも予見していなかった・・・どころか、恐ろしい歴史の理を、最後に突き付けられた気がするのです。それこそが、冒頭で筆者が記した全身を電気が走ったかのように身震いし、しばらく身動き出来なかった理由です。

ユミルが知り得た未来 – 巨人が消えても争いは続く

地ならしに伴う「天と地の戦い」が終わり、その後もエルディアと世界の争いは終わりませんでしたが、それはユミルやエレンの想定の範囲内でした。

「巨人の居ない」世界の未来は「巨人ではない」人類の手に託されました。これは人類の戦争と平和の歴史そのものであり、争いが絶えないとしても、地ならしにより人類の8割が失われるような絶望的な恐怖はもう根絶された、と考えられるため、読者はある種のハッピーエンドだと感じたのです。

そして、最後の最後の1コマを見るまでは、どう見ても「決して楽ではないが、より良い未来」が待っているようにしか思えない描き方がされていたのです。

しかし、それこそが諫山マジックでした。

ヒストリア, 進撃の巨人 最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

進撃の巨人 最終話「あの丘の木に向かって」

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

願い虚しく、歴史は繰り返されるのか?

鬼才・諫山創は最後にとんでもないどんでん返しを用意していました。

上のハッピーエンド的描写の後、ミカサの

「エレン・・・マフラーを巻いてくれて、ありがとう・・・」

で感動のエンディングかと思いきや、最後のたった4ページ(見開き2ページ)を残して、エレンが眠る「丘の上の木」のその後が描かれます。恐らく何百年、何千年という相当長い年月を、この大樹が生き残ってきたことを示唆します。

最後の最後、犬を連れた少年がこの大樹に出遭うシーンで、進撃の巨人は幕を閉じます。

進撃の巨人, ラストシーン

出典:諫山創「進撃の巨人」最終話「あの丘の木に向かって」

この瞬間、とんでもない絶望感に襲われました。

エレンが眠る大樹の根本には、かつてユミルが落ちたのと同じ様な巨大なウロがあったのです。

つまり、巨人、あるいはそれに匹敵する何らかの災厄が、遥か時を経て再びやってくることを暗示し、「進撃の巨人」の物語は突如幕を下ろすのです。

あまりに急転直下の展開と幕引きに、恐ろしさと驚きで体が震えました。

最後の1コマ「丘の上の木のウロ」は何故現れたのか

この木のウロが現れた理由やこの後の展開について、作者が示唆するところは筆者には分かりません。

もしユミルが落ちたウロのように、中にあの背骨のような寄生虫の様な生命体が潜んでいるとすれば、何故でしょうか?

天と地の戦いの最後、エレンと結びつこうとした背骨生命体が、エレンの頭部を追ってきたのでしょうか?

たとえば、エレンの「『自由の奴隷』からの真の解放を求める思念」が背骨を呼び寄せたのかも知れないな、と思ったりします。

生来自由を求めるエレンが、いつからか始祖ユミルの計画に支配され、気付いたときには真の自由を奪われたまま死んでしまった、という強い後悔の思念が生命体を呼び寄せた・・・とか・・・

あるいは、あの生命体は、愚かな争いをやめない人類に数千年ごとに鉄槌を下すべくこの星に組み込まれた浄化の役割を担っているのか・・・

これに関しては筆者は伏線を見つけられておらず、もう完全に妄想の世界です。

ただ言えるのは、エレンの首にミカサがキスをする様子を見守る始祖ユミルが微笑んでいるのは、この時点では自分の願いは成就し、巨人は根絶された、と思い満足したためだろうな、と想像されるのですが、実はこの時点でユミルにも予見できていなかった、何らかの狂いが、遠い未来に(それは二千年後かも知れない)生じたという事なのでしょう。

 

筆者個人の進撃の巨人最終巻の解釈はここまでです。全話を詳細に検証した訳でもなく、あくまでも素人のいち思いつきですので、色々思い違いなどあるかも知れませんがご了承下さい。

いやそれにしても、ここまで度肝を抜かれ、伏線回収が鮮やかで、深く考えさせられる作品は中々ありません。諫山先生の次の作品が楽しみすぎます。

エレンの首にキスするミカサ, 進撃の巨人 第138話「長い夢」

出典:諫山創「進撃の巨人」第138話「長い夢」

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