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大樹寺と岡崎城と母校と家康のおじさんと – 大河ドラマ「どうする家康」の故郷

(2023年1月15日更新)2023年の大河ドラマの初期の舞台となる岡崎城と大樹寺は、筆者の母校である岡崎市立大樹寺小学校と非常に縁の深い場所なので、関連する情報を追記します。

こんにちは。10max(@10max)です。

ところで筆者の生まれ故郷は、愛知県岡崎市という町です。いつも帰省している静岡県の三ヶ日というところは両親が定年退職後のスローライフを過ごす場所として引っ越した先なのです。

本来の故郷、岡崎については、我が家の怪獣たちは、次男がまだ歩き始めたかどうかという頃に一度訪れただけなのでほぼ記憶にございません。

ということで年末年始の帰省時に、ここいらで改めて小さくて偉大な父の故郷についての知識を刷り込んでおこうという試みをしてきました。あ、ちなみに「偉大な」は「父」ではなく「故郷」に掛かってますので〜(笑)

大樹寺

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徳川家康公のお墓もある徳川家の菩提寺、大樹寺

まずは大樹寺です。

全国的にそこまで有名なお寺ではないと思うのですが、地味に徳川家康公のお墓があるんです。

大樹寺 徳川家康 墓

実はこの大樹寺、家康公が姓を改める前の松平家八代と徳川将軍家の菩提寺なのです。

徳川将軍家の菩提寺といえば増上寺と寛永寺が有名なようですが、大樹寺には徳川に姓を改めてからの墓はなく、位牌のみが安置されているので知名度に差があるのかも知れません。

下は国の重要文化財に指定されている多宝塔。

大樹寺 多宝塔

多宝塔は1535年に家康の祖父の松平清康が建立したものだそうです。室町後期の歴史的な建築様式・・・なんだそうですが、よく分かりませんが、一階の屋根と二階の屋根の間のくびれた感じや、反った屋根の形など、何となく美しいかも(笑)

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大樹寺山門の向こうには岡崎城が・・・

そしてこちらは山門。

よ〜く見てください。手前の大きな山門の向こうにもう一つ門が見えますよね?

大樹寺 山門 岡崎城

向こう側の門は、山門から200mほどのところにある大樹寺の総門です。

お次にこの総門のさらに向こうに目を凝らして見てください・・・

大樹寺 山門 岡崎城

 

じぃ〜〜〜っ・・・と目を凝らして・・・

 

お城、見えますよね!!

 

これ、家康公生誕の地である岡崎城なんです。そしてこれは偶然ではなく、ちゃんと計算された景観なのです。由来を引用しますね。

 

これは徳川三代将軍家光が、寛永18年(1641)、家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来しています。また、歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも伝えられています。(岡崎市公式ホームページより)

 

この約3kmの間の景観は家光の時代から380年に渡って遮られないよう守られてきました。しかもこの景観を守る条例が出来たのはつい最近の2010年のこと。それまでは法律や条例に頼ることなく自発的に景観に配慮した建築で市民によって守られてきたのです。何ともロマンチックな話です。

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大樹寺総門と山門の間にあるのは母校、大樹寺小学校!

そしてさらにですね・・・

上の引用にも少し書かれていますが、その景観の起点に当たる大樹寺山門と総門の間にはなんと、小学校のグランドがあるのです!

それが筆者の母校、岡崎市立大樹寺小学校です。下の写真の奥に見えるのが、上で出てきた大樹寺総門です(下の写真だと見えないけど本来はその向こうに岡崎城が望める)。

大樹寺小学校

今思えば

「よくもまあやってくれたぜ岡崎市」

という感じです。

かつて歴代の岡崎城主が菩提寺を拝み、また大樹寺の参拝客が岡崎城を望んできたライン上に、子供たちが元気に走り回る小学校のグランドを配置するなんざあ、実に粋じゃあありませんか。

おかげさまで今でも校歌をよ〜く覚えてますよ。

 

丘の学校楽しいな〜 西を流れる矢作川〜♪

南の門の〜真ん中に〜 岡崎城も〜絵の〜ようだ〜♪

みんなの学校〜 だい〜じゅ〜じ〜♪

 

あとね、家康公の遺訓なんてのも学校で覚えましたけど、今でも忘れてませんから。

 

人の一生は 重荷を負いて遠き道をゆくが如し 急ぐべからず

不自由を常と思えば不足なし 心に望み起こらば 困窮したる時を思い出すべし

勝つことばかり知りて 負くることを知らざれば 害その身に至る

己を責めて 人を責むるな 及ばざるは過ぎたるより勝れり

 

いやいや・・・試しに書き始めてみただけなんだけど、今でも全部諳んじれるもんですね(記憶が違ってるかも知れないので興味のある方はGoogle先生に訊いてみてください^^;)。

というか、こんな難しいもんよく小学生に覚えさせようと思ったな〜(笑)

実に粋な市であり、学校であったと誇りに思います。

そんな感じの小学校で育ったので、徳川家康と言っても、昔近所に住んでたちょっとエライおっさん的な親近感が未だにあるんですよね。

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「どうする家康」での大高城、大樹寺、岡崎城、駿府の位置関係(2023年1月追記)

さて、これまではさほど知名度の高くなかった大樹寺と岡崎城ですが、2023年の大河ドラマで俄然フィーチャーされることとなりました。1月8日放送の第1回、1月15日放送の第2回で、堂々たる大河の舞台となりました。

最初は家康(当時は元康)が岡崎の事を嫌いすぎて、岡崎民としては居たたまれない心持ちで観ていましたが、第2話の最後に、我が母校のある大樹寺で虎年生まれの武の化身として立ち上がってくれました!(本当はう○ぎ年生まれだけどw)

エラー - NHK

その「どうする家康」の第2回放送前後の舞台となった、以下の3ヶ所をマップで見てみましょう。

大高城(頑張って兵糧を届けたのに今川義元討死の報を聞きダメダメになった場所)

大樹寺(元康の判断ミスで敵の罠にハマってほうほうの体で逃げ込んだ松平家の菩提寺)

岡崎城(大樹寺で立ち上がった元康が第3話で入城するであろう生誕の地)

マップで見るとこんな感じ。

どうする家康 大高城 大樹寺 岡崎城 位置関係 マップ

大高ってのは名古屋市の南東の端っこに有って、そこから大樹寺と岡崎城のある岡崎市までは結構あります(大樹寺から東岡崎はバスで20分くらい)。

大高の最寄りの名鉄「鳴海駅」から岡崎城近くの「東岡崎駅」まで急行で30分くらい。高校時代は学校が名古屋だったので毎日電車でここを通ってましたが、朝のラッシュ時の鳴海まで長い長い。特に知立〜鳴海はノンストップだったので(たまに「前後駅」に止まるけど)ほんと長い。

これが落ち武者状態だと更にきついでしょうね(←比べるな)。

自分の判断ミスで部下を何人も失い、鳴海から東岡崎くらいまで落ち武者状態で落ちてきたら、そりゃ鬱になって自害も考えますって。

でもそこから立ち上がってくれた時はちょっと涙が出ましたね。

「厭離穢土欣求浄土」

この言葉も捉え方次第ってことで!

 

さて、家族での故郷および母校訪問の話に戻ります。今やその当時の自分と同じ年代の少年たちを連れて母校へ帰ってくる時代になりました。

筆者にとってはこの大樹寺小学校が素晴らしい母校ですが、こうしていくら親父の故郷や母校の素晴らしさを子供たちに刷り込もうとしたところで、彼らにとっては彼らが今通う学校が何より思い出深い学び舎となることでしょう。

そんなお前たちにこの言葉を贈ることにしよう。

 

わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい!

 

(「ここへ来ていきなり丸大ハムかよ!」って突っ込んで下さい(笑)小学校の頃このCMすごい流行ったな〜)

大樹寺 山門 岡崎城

 

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コメント

  1. はぴ より:

    こんばんは
    生まれと育ちは岡崎市だったんですね。
    実家が三ヶ日に引っ越してしまうと
    岡崎に帰省する機会も減ってしまいますね。

    徳川家康のお墓がこちらにもあるんですね。
    総門 山門 岡崎城 計算され建てられてるんですね。
    昔の人ってすごいですよね~。

    大樹寺山門と総門の間に母校のグランドがあるってのもすごい!!
    息子君たちに見せられて良かったですね^^

    • 10max より:

      はぴさん、こんばんは。
      はい、岡崎の人でした。
      家康さんのおかげか、三河弁は名古屋弁より静岡の方言の方が似てるんですよ〜。
      でも確かに帰る機会がほとんど無くなってやや残念ではあります。
      門から城が見えるなんて、粋なことを考えますよね。
      それが守られてきたこともすごいと思います!
      子供達にいろいろ語りたいこともありましたが、すぐ飽きてどっかに行っちゃったのであまり刷り込み出来ませんでした(笑)

  2. Sippo☆ より:

    愛知県って、行ったことが無いんです。
    いつか訪れてみたいなあ。
    そして歴史が大の苦手だった私は
    徳川家康の名前は知っていても、それ以上のこととなると
    やばいです(恥)
    徳川家康公をご近所のおじさんのように慕って
    子供時代を過ごされたとは、、素晴らしい!!

    また建築の配慮、これは日本人にしか出来なかったことではないでしょうか。
    それがつい近年まで、ご近所の方々によって守られてきたというお話も
    感動です!!

    さてさて怪獣くんたち、それぞれのご興味はあっても
    お父様の想いも、充分伝わったことと思いますよ!
    P☆

    • 10max より:

      Sippo☆さん、おはようございます。
      愛知県はあまり観光で来る人は多くないと思いますが、家康に秀吉に信長と、戦国武将だけは近所で沢山輩出してます(笑)
      自分の育った土地がつい500年前くらいにはそんな戦国時代の真っ只中だったなんて信じられません。
      寺とお城の景観が守られるようになったのも、江戸時代になって世の中が割と平和になったからかも知れません。
      子供達には、何か自分に縁のある土地なんだと覚えてもらえればいいなと思います(^^)

  3. naoggio より:

    こんにちは。
    10max さんは岡崎のご出身だったんですね。
    私の母親の弟が岡崎の料亭に婿入りしたので子供の頃から岡崎にはちょくちょく行っていました。
    だいぶ前に叔父も亡くなり今は疎遠になってしまいましたが、懐かしいです。
    山門とお城が直線上につながっているなんて全く知りませんでした。
    そしてそれを守り続けたとは岡崎の方は偉いですね。また家康公に対する尊敬や誇りが感じられます。
    どこの街もこんな風だといいのですけれど。

    • 10max より:

      naoggioさん、こんばんは。
      はい、あまりブログでは触れたことがありませんでしたが、岡崎生まれ岡崎育ちです。
      岡崎にもご縁があるのですね。
      そして岡崎に料亭なんてあるとは・・・
      家康公にゆかりのある小学校に行っていたので特に刷り込みが激しいのかも知れませんが、康生町や伝馬町、材木町など城下町を偲ばせる地名も数多くあり、知らないうちに歴史に馴染みながら暮らしているのかも知れません。