「写真の良さ」の8割を決めるのは「シャッターチャンス」なんだろうなと思っています。
ここで言うシャッターチャンスというのは「決定的瞬間」というような狭い意味ではなく、「季節や天候」「光の加減」「被写体の状況や現れるタイミング」更には「その場に居合わせた人達」などなど、意図や想いの伝わる写真が撮れるための条件が揃うシチュエーションの事です。
今やスマホで誰もが手軽に写真を撮れてしまう時代。その中で、そうした「シャッターチャンス」を追いかけて貴重な休日に時間を割いたり、わざわざ特定の場所へ出かけたり、それにより細君に小言を言われるところまで一連のセットで実行する変人かどうかが、所謂「趣味で写真を撮る人」とそうではないの人の違いなのではないかと。
もちろん本当に運が良ければわざわざシャッターチャンスを追い求めなくても良い写真を撮れる事はありますが、「写真を趣味とする人々」と言うのは自ら行動してその確率を高めようという酔狂な人達なのだと思うのです(筆者です)。
その話については以前下記の記事で詳しく触れました。
しかし、更にややこしい時代がやって来ました。
Googleフォト「Magic Editor」、それは悪魔との契約
今年5月10日、Googleフォト向けの新しい写真編集機能「Magic Editor」が発表されました。
AIにより、背景の曇り空を全く別の青空に「変更」したり、不要な人や物体を自然な形で無かったことにしたり、挙句、本来は写っていない部分を自動的に「生成」することすら出来ると言います。
この中の一部もしくは似たようなことは従来よりPhotoshop等の画像編集ソフトでも可能でしたが、そうしたソフトを駆使できる一部の玄人だけでなく誰もがそうした「加工」を行うことが可能になった格好です(ダジャレじゃないですよ)。いや、写っていないものを「作り出す」なんてもはや悪魔との契約レベルです。
「趣味の悪いことをするもんだ」という感情面の気持ち悪さはさておき、現実的にはここで2つの大きな問題が浮上します。
一つはデマや誤情報の拡散(悪意・無作為に関わらず)。
もう一つは、AI写真に対するリアルな写真の価値。
ここでは前者については華金で酔っ払って考えるのが面倒くさいので少々話が複雑になるので一旦横に置いておき、後者について考えてみたいと思います。
後者の問題は、言い換えれば
「シャッターチャンスの価値って何よ」
と言う事なのではないか思います。
冒頭で触れた通り、これまで写真撮影を趣味とする人たちは、より良い瞬間を捉えるために多くの手間と時間を割いてきました。
しかし、曇り空をパッと青空に変えられるのなら、最高の天候に出会えるまでその撮影スポットに通う、あるいは雲間が切れたり日没の瞬間が訪れるまで何時間も待つ意味なんてあるのだろうか。
余計なものをパッと削除出来るなら、人混みが切れたり車やバイクが通り過ぎるのを待ったり人出の少ない日を狙ったりする必要なんて無くなるんだろうか。
いとも容易く写っていない部分を生成して被写体を理想の位置に持ってこられるなら、動き回る子供の最高の瞬間を最高の構図で捉えられるようにカメラを構え続ける必要なんて無くなるのだろうか。
なあんだ。望む写真の殆どは適当に撮った後に手のひらの中で「作り出せる」んじゃないか。
それがまんざら冗談とも言えない世界線に僕たちは突入しつつある訳です。
AI写真の時代にこそ高まる「リアルな写真の価値」
ではそうした世の中は、筆者のように「趣味で写真を撮る」人たちにとってつまらないものになってしまうのでしょうか。
しかしここで筆者はあえて逆説的に考える事も出来るんじゃないかと思っています。
AI写真の時代においては、「リアルな写真であることの価値」が一層高まるのではないか、と。
スマホの登場によって、普通に写真を撮ると言う行為自体の希少性は著しく低下しました。
しかしこれからは、リアルな写真とAI生成の写真とが玉石混交する時代。そうなってくると、「AI生成を経ていないリアルな写真」の希少性が今よりも高まるのではないでしょうか。
「見て見て!こんなに綺麗な虹が見えたんだよ!AI加工じゃないよ!」
「こんなに広いビーチが独り占め状態だったんだ!AI加工じゃないよ!」
もちろんここでは、上で一旦横に置いた「偽造問題」が気になりますが、その人のSNSでの発信やコミュニケーションの仕方をほんの少し見れば、本当に良い写真を撮る人なのか、偽造でインプレッションを増やそうとしている人なのかはすぐ分かるもの。
望むらくは、AI加工を経ていないこと(あるいはその逆)を証明できるメタデータを写真に付与できればより良いでしょうね。(PhotoshopやLightroomなどによる加工との線引きが難しいところですが)
一枚の写真で物語を紡ぎ出せるのは僕たちだけ
いずれにしても、時間と労力をかけて「その場」に居合わせた感動、あるいは大切な時間を共にした家族や友人たちとの思い出・・・そうした想いと共に切り取られた一枚は、その写真にまつわる物語自体が価値をもつもの。例えそれが曇り空であったとしても。
そうした写真がもつ「物語」はAIには決して紡ぎ出せません。だから僕たちはこれからも意気消沈する事なく、その場(≒シャッターチャンス)に実際に居合わせたことの感動や、その時の記憶のままの情景を写し出す「リアルな写真」を撮り続ければ良いのです。
これって人間とAIの違い、みたいなテーマそのものだったり。
ただ少々面倒なのは、これまで以上に、リアルな写真を撮ったと言う事実とその前後のストーリーを語る事が、写真を趣味とする僕たちには求められるのかも知れないな、と思ったりはします。
人の心を掴むのも大変な時代になったものです。
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