二年前の五月のことである
無理やりトラックに積んできたスクーターで
早速走りまわったが
一方通行ばかりで
逆走してパトカーに止められたものである
それまで僕は
小田急線で新宿から三十分くらいの
Iという小さな町に住んでいたが
三年から大学の校舎が移ることを名目に
同じ小田急線で新宿から15分くらいの
このU町に越してきたのである
だがここへ越してきた
本当の理由は全く違った
というのも
U町から新しい校舎までは
1時間もかかったのだから
僕は以前から
世田谷区にあるSという町が大好きで
ヒマがあれば訪れ
訪れては好きになっていった
U町からS町へは
自転車で十分ほどであった
Sという町は
古着屋がたくさんあったり
こぎれいなカフェが点々としていたり
独特の雰囲気を持った
おしゃれな路地にあふれた
若者の集まる町だ
しかし僕は
人に指摘されるほど
古着を愛するわけでもなければ
まして優雅にカフェで時間をつぶすほど
金もなければ暇があるわけでもない
当てはまるのは
若者であるということくらいだ
そう
僕は若者である
幼いころから
天気のいい日に屋内にいるのが苦手で
家から一歩も外に出なかった日は
病気のときを除けば
生涯で一日たりともなかったと思われる
そのようなわけで
町を開拓するのが大好きである
Sという町は
そんな僕にとって
半永久的な秘境を提供してくれる
S町を散策して
新たなモノに遭遇しないということは
まず有り得ない
そんなマニアックさが
僕を虜にしたのだろう
こうして
S町から程近い
Uという町へやってきて
ちょうど一年が過ぎた頃
その頃僕はある女性と
行動を共にするようになった
彼女の雰囲気が
僕をそういう気持ちにさせるのか
はたまた僕が彼女を
そういう気分にさせるのか分からないが
僕たちは毎日のように
オートバイや自転車で
U町の周辺を開拓していったものだ
それまでの一年間
U町のどこを見て暮らしてきたのかと
自問したくなるくらいに
密かな公園
奇妙な神社
夜中の学校
美しい緑道
新しい環境での新しい人々との出会いに
少しだけ疲労を覚えるような年齢になったが
これらのモノとの遭遇には
未だに心が踊るのだ
そのような遭遇に際して
心踊らせることによって
僕は
精神的な年齢が急激に老いてゆくのを
食いとめていたのかもしれない
そういった作用は否めないだろう
だからこそ
このような冗談を平気で言えるのかもしれない
例えば
いつものようにU町を散策していて
見たこともないような物を揃えている
素晴らしいオモチャ屋に
偶然行き当たったとする
ここで発見という言葉を用いると
ガマとアメリカの際のように
誤解を招きかねない
かといって
到達と表現すると
恋で言えば片思いの関係にとらわれかねない
それでは
オモチャ屋と僕との間では
どのようなことが行なわれているのか
オモチャ屋は僕のような珍客とは無関係に
旧来からそこに存在していたかのようで
実はそのようなオモチャ屋を求める僕のような珍客を
オモチャ屋もまた求めていたのである
そこで行なわれるのは
やはり遭遇ではないだろうか
潜在的な相思相愛という意味での
遭遇
眠れない夜は
外をブラブラと出歩いたものだ
Uという町は閑静な住宅地であり
深夜過ぎの散策を邪魔するものは何もない
缶ビールを二、三本空けた後の散策は
心地よいほろ酔い気分だ
ところでU町は東京の都心近くにありながら
とても清潔で涼しい風を提供してくれる町だ
夜空は都会らしく少しだけ赤みがかっているが
そこが都心に近いということを
しばし忘れさせてくれる
本当の田舎というのではない
都会にいるということを忘れさせてくれる
それが心地よい
不思議なものだ
東京に馴れてしまった僕の
矛盾の現れかもしれない
しかしUという町が
僕を癒してくれたことに変わりはない
「癒し」というものは
相対的なものであるはずだからだ
毎晩仕事で疲れきっている僕にとって
そのことは信条に近い
もしくは
そうであると願いたい
絶対的な癒しというものが存在したとして
それを求めることが非常に困難ならば
僕は癒しを受けることができずに
困窮してしまうからだ
二人で
線路沿いの道を歩くのが好きだった
この道を通って
あの人を家まで送っていったものだ
線路の道筋は
呼べばあの人に届きそうなくらい
単純で分かりやすく
僕を目的地へと導いてくれそうだ
そのためか
二人でこの道を歩いている時の会話は
とても単純でわかりやすく
素直なものになる
もともと難しい話をするような
間柄ではないにしてもだ
それは
海辺に出ると
大きな声で話したくなるのと
似ているような気もするし
もしくは
僕たちのどちらかが
同じ目的地へと続く道程から
外れてしまわないことを
願うが故のことなのかも知れなかった
素敵な雪が降っていた
これは昼過ぎまでは
三月の終わりの冷たい雨だったものだ
その日僕は
U町を出て行くことになっていた
四月から新しい町で暮らすことになったのだ
そんな日の思いがけない雪は
僕の気持ちを高揚させ
それゆえ逆に
ひどくセンチメンタルにさせたりという
反動の繰り返しを心の中にもたらした
雪の中を
アパートとコンビニを数回往復した
要らなくなった荷物を
田舎へ送り返すためだ
宅急便を呼んでも良かったのだが
長い間アルバイトをしていたコンビニに
最後の挨拶も兼ねて足を運んだのだ
理由もないのに
挨拶に訪れるのは気恥ずかしいので
丁度よい口実になった
ダンボールに荷を詰め
傘を片手にコンビニへ行き
「また来ますから」と言ってはアパートへ戻り
荷造りをした
最後の荷物をコンビニに預けた頃
雪は止んでいた
残ったのは
我が身と オートバイだけだった
何もなくなった部屋に
まして防寒着など残っていようはずもなかった
春向けの薄いパーカーとジャージで
オートバイに跨った
アパートを出る前
何度もドアを閉めようとしては
部屋に戻って中を見まわした
何か忘れ物があっては困るからだ
何もないはずだと自分に言い聞かせて
ようやくドアを閉めた
僕の後ろ髪を引いたのは
まさに別れを告げようとしている
このアパートやこの町だけではない
この町を去るということが
4年間の大学生生活に終止符を打つということを
知らないやつばかりが出揃う卒業式などよりも
はるかに分かりやすく象徴していたが故に
僕の足を鈍らせたのだ
オートバイのエンジンは
相変わらず寝起きが悪かった
環七から甲州街道に入る
これから向かうFという町までは1時間弱だ
U町を出る頃きれいな茜色だった西の空は
濃紺色に様変わりしている
信号で停車するたびにエンジンに手を近づけ
凍える指を温める
息が白いのを確かめる
U町は遠ざかっていく
しかし遠ざかるにつれて
気は楽になっていく
それはたぶん
新しい町への道筋を踏みしめることで
U町への道筋もまた
実感として認識を深められるからだ
いつしか夜は完全になり
空はやはり赤みがかっている
昼間の雪の名残といえば
道路脇の水たまりと
頬を切る冷たい空気のみで
自分の身体が震えていることが
滑稽に感じられる
それは
オートバイに乗っている僕以外の人々にとって
そこはもう春だからだ
F市に入る頃車の量は減り
僕はスロットルを開けてみたが
冷たい空気に涙が溢れるだけだったので
ゆっくり走ることにした
(本記事は200X年の過去ログです)
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